徒然に・せきららに

道しるべに

淡路島に輝く場所

 
「心と身体はつながってる」
最近 耳たこなこのフレーズ
 
すこし掘り下げて
 
「身体の成長と心の成長は同じ」
に目を向けたい
 
生物の進化のように
胎児から身体の発育と動き方には順番があって
 
 
 
そして
エリクソンマズローが定義するように
心の成長もなんだか段階がある
 
 
 
身体の動きは
まず脊椎(背骨)が成長し
左右を使いだし
そして別々に動かすことを覚え
ついに前後左右と真ん中が統合する(X線上に)
 
心は
本能をみたし
安全を確認し
承認欲求をみたし
自己実現をはたす
(そして自己超越へ・・)
 
けれど未発達のまますすむこともある
というよりも
みな未発達部分を残して生きる
 
脊椎の未発達は・・・・
自分の真ん中がわからないこと
背骨の感覚がないから頭の位置がわからなくて
ヘディングが苦手だったり
信念がわからなかったり
 
左右の手足を同時に使いはじめて
感情を表現できる心になり
 
はいはいを覚える頃
左右を別々に使えるバランス感覚が培われる
それはつまり情動と行動のバランスが取れるようになること
正中線(身体の真ん中)を軸に左右が使える
気持ちを切り替えて行動できるようになってゆく
(食べたい衝動を抑えて手を洗うとかね)
 
こうして土台ができていく
 
順番とおりにすすめばいいけど
とばしてたって生きていけるし成長できてるから
みな未発達で生きている
 
・・・だから どこか 生き辛さをかかえて・・・
 
情緒豊かで鋭い感受性でも信念がないと生き辛いし
バランス感覚がないと情動にふりまわされて苦しいし
信念があっても「心地いい」がわからければ
幸福感を味わいにくい
 
 
心で感じれなくても
頭でわからなくても
 
身体はこたえを知っていて
伸びると気持ちいいところも鍛えたいところも
みんな知っていて
 
いつからだって発達できる
・・成長することをのぞんでいれば・・
 
アシュタンガヨガでも
一つ前のアサナが
次のアサナの準備となる
そのアサナが未完成であったとしても
次のアサナを「なんとなく」行えたりするけど
やっぱりどこかに無理をさせてる
 
そして
いつからだって
誰だって
どんな状況からだって
やり始めることができる
 
私が灰谷孝さんの方法を愛す理由は
人の可能性を完全に信じてるから
命を尊重しているから
 
それは愛そのものだと思う
 
 
苦しみをかかえる方へ
発達障害は発達します
 
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誰かの意見や何かの反発を

なげかなくていい

 

心からの善意を受け取ってもらえなくても

なげかなくていい

 

 

そして、実はその嘆きが

新しい一歩を踏み出す力になるから

嘆いていい

 

 

歴史に学べばいい

 

ヒーローには必ず挫折がある

先駆者は必ず世間の抵抗にあう

 

経験ではなく歴史から学ぶ

経験から学んでるうちは、現状を突破できない

 

今までが現状をつくったのだから

 

そして

「孤独」が自分を支えていることに気づくこと

 

その時

可能性は無限大なのだと気づける

胸の痛み

ヨガをすれば

 

痛みや苦しみ、悩みから解放される

 

そう思っていますか

 

 

私は

 

そう思っていました

 

早く悩み苦しみから解放されて

穏やかで静かな時間の中だけで

 

その中だけで

 

生きていたい

 

いつかそうなれるんだ

 

いつかそうなるんだ

 

と夢みて

 

苦しむたび

苛まれるたび

翻弄されるたびに

 

息をひそめて

感情が過ぎさるのを

 

ただ眺めようとしていました

 

 

ああ、この胸の痛み

 

この痛みがあるからこそ

 

私は良心の声を聴く事ができる

私は私の良心に耳を傾けようとする

 

私の行いが

私の良心に背いてるのだと

 

知る事ができる

 

 

ああ、この胸の痛み

 

牧師が踏み絵を踏んだ時

 

彼の胸は

 

ひどく痛み

 

その刹那

 

彼は彼の神と出逢ったのだ

 

 

高校1年の課題図書

遠藤周作著「沈黙」

 

この恩恵

 

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備忘録

なぜ人は生きるのか

 

子供心に不思議でした

 

 

私の心は枯れ果てていて

「へそ曲がり」で素直でなくて善悪もつかず

「腐ったみかん」でした

 

「みかんの箱にひとつ腐ったみかんがあると、他のみかんも腐るんや」

 

私は腐ったみかんなんだと信じてました

 

毎朝目やにで目も開かず

常に鼻が詰まり息もできず

幼児の頃から生きる事を拒否していたのだと

のちに気づきました

 

明るく健やかな兄弟のなか

生きる事はずっと苦しかったです

 

小学生の頃、有名な俳優が

「明日死ぬかもしれん、

だから悔いなき今日を生きろ」と言っていて

 

ああ、同じ言葉でもまるで違う生き方だと思いました

「明日死んだらいいのに、今日が早く終わればいいのに」

 

 

 

カトリックの学校で

宣教師が見知らぬ子供へ防命具を渡し命を落とすこと

羨望の想いで聞いていました

私にも同じ場面が訪れないかと

 

喜んでこの命を差し出すのに

こんなに生きていたくないのに

この命で

誰かが喜んで生きてくれるなら

なにを惜しむ事があるか

誰か

私に

 

せめて最期くらい

有意義な命になるように

 

本気で願いました

 

何故こんなに苦しいのか

 

他の人のように

豊かな感受性で共感しあい生きる事が出来ない自分はどうしようもない欠陥人間で

 

どうして自分だけ

こんなに欠けてるんだろうと

 

いつも心は孤独でした

 

心理を学び生育環境を不憫におもい

母親を責めて生きた時期もありました

 

いつも心は苦しかったです

 

 

ただ愛したかっただけ

ただ愛されたかっただけ

 

 

長い長いトンネルをぬけ

陽だまりのあたたかさがありがたくて

涙がでる日

 

人の優しさが身にしみて

涙がでる日

 

ああ生きてきてよかったなと思います

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニート

neet

 

ラテン語

 

「光かがやく」

 

 

働かなくても

 

 

なにかをうみださなくても

なにかを支えなくても

 

 

なにかを守るのでもなく

なにかに守られるのでもない

 

私たちは「在る」

 

それでけで

 

「ひかり」そのもの

 

 

 

そう思えないから 

求めてもがいて

 

閉じこもったり、はたまた声高にさけんだり

 

 

 

その真実を知るために

 

その真実を知りたいと願うから

 

 

 

依りかかり、在る

 

依存とは生きることそのもの

 

依存症なんて落ち込まなくていい

 

私達は「依りかかり」なしに生きられない

「依りかかり」なしに存在できないのだから

 

 

 

 

 

 

優しい道標

ヨガの八支則のヤマ、ニヤマ

禁戒と推戒

 

「戒め」

つまりそれは

遵守しなければならない項目

 

ヤマ、ニヤマの実践なしに、どれほど身体を鍛えあげようとも

どれほど深く集中しようとも、どんな神秘体験が訪れようとも

サマーディ(悟り)=自己の本質に辿りつかない

 

・自他を傷つけず、正直で誠実に、盗まず、性欲におぼれず、貪らず

・清潔に、満ち足りて、鍛錬し、学び、祈る

 

戒めだと思っていました

「掟」だと

 

苦行のように実践していく

果てない道を歩もうとする者への課題だと

 

まるで修行僧のような心持ちで

どこか優越感を味わいながら

 

物知り顔で実践してた

 

 

だけど、気づいてしまった

 

 

 

戒めなんかでない

 

 

それは「御守り」

 

迷わないように

悩まないように

苦しまないように

 

自身が愛の塊であることをいつも忘れてしまう私達への道標

 

迷わないように

悩まないように

苦しまないように

 

私達は自分を裏切ったときに苦しみ悩み悲観し迷う

 

 

東洋だけの思想でない

アービンジャーの書籍には

”自分の良心に従わなかったとき”に

”自己欺瞞がおこる”と明記されている

 

欺瞞からは本質に辿りつけない

だって自分を欺いてるから

偽者から出発したら、手に入ったものは全て偽物なのだ 

 

 

だからそうならないように

八支則はある

 

迷わないように

悩まないように

苦しまないように と

 

あたたかくいく先を照らす道標

 

 

迷いも悩みも苦しみもさえも

支えとなる

ただの道標であったことにも

 

またきづく